フィーナ生誕記念2021 4.激動の2021年
ポリン:
とても厳しかったわ…。まだ左腕が痛いけど、フィーナはどう?
フィーナ:
おかげ様で、随分と良くなったわ。もう気にならないくらい。
ポリン:
疫病の予防接種をしたら、翌日には高熱を出して寝込むなんて聞いてはいたけど、なってみると苦しいのが分かるわね。これこそ、うまだっちよ。
鹿之介:
ここまでやっても、冥界に帰ったら二週間は隔離だから気を付けるんだ。
向こうは誰も抵抗力を持っていないだろう。
げーかにうつして、実装前にくたばったら、めーおーも困るだろうし。
フィーナ:
実装していても困るわ、全く。
それでは次の話題に行きましょうか?
鹿之介:
では昨年度末のクライマックスを面白おかしく書こう。
16年続けてきた仕事、そのうち14年は責任者として対応してきた仕事がパーになって、転職したがアウトした話。
ポリン:
笑える話じゃないでしょ?
鹿之介:
笑えない話こそ笑うべきだ。
何故なら、取り返しがつかないからだ。
笑って元気を取り戻して、明日を生きる糧にする。
大まかな流れ
2020年8月
当時の職場では、国家資格を持った者が出勤していなければ仕事が出来ない契約だった。
その資格保有者は私ともう一名のサブだけ。
そのサブが武漢肺炎による自粛休業が原因でバイトを入れて、そちらが主になっていった。
サブだって金が欲しい。これは仕方のない事だった。
ちなみにこれが神戸かわさき造船これきしょん7に出動できなかった理由。
状況の変化はこの神戸のイベントへの一般参加が事実上、永遠に不可能になった事から始まる。
2020年12月
サブも向こうの仕事がいいらしく、此方には月に四日しか来ない。
年末年始は酷い事になった。
本年度はいいが、来年度一杯もこれでは困る。神戸の件も問題だ。
サブは下手すれば辞めるかもしれない。
私は本社に資格保有者が無くても勤務できる契約を組むように伝える。
そうしたら、本社からは今の契約で出来ると返答。
飛び上がって驚いた私は代行を数名作って、サブの不在時にも働けれるよう準備をする。
また、取引先からは万が一はもう一社と合流して勤務に就く話が出る。
出来るが、早めに言ってもらいたいと答える。
2021年1月
何もない。
もう一社の責任者にも合流の話はどうなっているのか話すがお互い、ピンと来ない。
ここで私のミスがあるとしたら、この件で本社と話しておくことだったか。
でも話せないよなぁ。
2021年2月
本社から連絡が入る。
件の国家資格はどうしても契約上必要で、代行ではだめだと。
言わんこっちゃない。
ここで私のミスは、会社が今後どうするのか踏み込んで聞くべきだった。
来年度は契約をし直すのだろうと安易に考えて質問をしなかった。
連絡を密にとってどうにでも動けるようにしておくべきだった。
同年同月末
サブに退職の意思があるかを確認する。
あまり意味のない行為だ。
続くときは続くし、辞める時は辞める。
待遇とか人間関係とか、彼にとってここは良好ではない。
良好ではない原因は彼そのものにあると思うが、そういう問題ではない。
とりあえず、聞いた結果は「辞めない」なのでそれを本社に報告する。
悩んだうえで「国家資格無くケースを考えない、従来通りの契約を組める」と伝える。
これで今年の神戸も駄目かとガッカリする。
サブは日曜日に向こうの仕事に行くため、私は日曜日に絶対に出勤しないといけないのだ。
同年同月翌日
本社から緊急連絡。契約先から新年度の契約は出来ないと通達が来た。
あと一か月で撤退と決まる。
2021年3月
契約先から呼び出され、来年度の契約は無く、これで打ち切りだと伝えられる。
もう一社あるのでそちらと合流して今後も勤務に就く話を振られる。
言うは易し、行うは難し。
私も真剣に検討したが、どうにも合流は難しい。
生き残った側は勝ったと思っている、我々は敗者である。
つまり向こうは「使ってやる」という態度になる。
さらに「こいつは嫌だ、アイツは嫌だと」まあ品定めまでされる。
私はいい、資格保有者だ。他に代えが無いので重宝される。
問題は他の仲間達で、生き残れる者と切られる者に別れる。
責任者の私が、向こうの、勝ったつもりでいる者のお眼鏡にかなった者を連れて助かる。
他は見殺し。
我慢ならない話だった。
そんな条件は飲めない。
それに考えている暇は無い。時間はどんどん減っていく。
仕事を探すにも急がなければならない。
以前から考えていた通り、この時が来たら出ていく事で決定する。
移りたいものがいればどうぞ。
ここで私が失敗したことと言えば、「意欲のあるものは全員受け入れる。何人とか人数指定するな」と交渉するべきだったようだが。
向こうの責任者は今でも言っているが、数が多すぎても勤務に日数で困るとぼやいている。
私は強く言う。数は力だ。何があってもおかしくない。
足りなくなってから慌てても取り返しがつかないのだ。余るほど人数がいた方が良い。
言っては何だがこの警備業界。明日は誰が倒れるか分からない。
高齢者だらけなので本当に数がいた方が良いのだ。何名だ、それ以上いらないとかほざいてはいけない。
この人数に対する考え方が決定的に違う。私は彼とこの点で一致できず、出ていくしかなかった。
移ったものは三名。全然足りないから、無理な連勤を重ね、体を壊すものが続出する。
正直言って、ざまぁと思った。余計な事は言わずに「皆でやろうぜ」と言えば病人なんぞ出さんで済んだ。
移った三人のうち、半年後に一人倒れる。何故か俺が電話対応する。
これで状況次第では壊滅の危機だった。言わんこっちゃない。
私は職安に行って仕事を見る。
駅ビルの警備隊に入る考えでいて、それの再確認だ。
他に鉄道監視員の仕事も考えていた。これは実際にやっていた人から聞いていて、いざという時はやろうとかねてから考えていた。
警備業以外も考えてはいたが、芳しいものが無い。
軽四の宅配ぐらいしかできそうにない。最悪はコレを考えていた。儲かるように見えないなぁ。
なお、そこは職安ではなくチラシ経由で当たるつもりだった。
問題はそこ、いつもチラシに乗っているんだよなぁ。みんな辞めるってことだよなぁ。
とりあえず二級ボイラー技士の資格が必要な勤務があるので応募してみることにした。
市民病院の中央監視。
後に笑い話になるこの仕事だが、当時は何をするのかさっぱり分からなかった。
今もよく分からないが。
ボイラー技士の資格が役に立つということで応募してみる。
予定が随分違う。これを魔がさしたというのだろうか。
職安で面接を受けたいと伝える。
そしたら履歴書を出せと言われて困る。まだ出来てない。
昔は持ってこなくても良かったが、今ではこの段階でいるようだ。
しょうがないのでこの日は帰る。
次の非番の時に行く。
そうしたら今度は職務経歴書を用意しろという話になる。
そんなものは知らない。それなんですか?
昔のTVCMにあった。「見て分からんものは、聞いても分からん」
ここで最初のストッパーが働いた。
こんな気取った事を要求してくる会社は、私のような底辺出身の人間は、入社できた所でやっていけないのではないかと。
意識の高い人たちが相手だと、会話も成立しなくなるからなぁ。
この段階では高い事を想定していた。
とりあえず、当時の私は非常に前向きで「とにかく社会経験だダメ元でやってみよう」ということになった。
すでに一日を無駄にしている状況で、ダメ元の発想は良くないと思うのだが。
自宅に戻ってからネットで調べ、悩みながら文章を作った。
こんなもん、生まれて初めて作ったわ。
こんなので何が分かるんだろうなぁ。
どうせ都合のいい事しか書かないのに。
この頃は余裕はここが駄目なら、それで次に行けば良いと普通に考えていた。
今月中に二か所は当たれる。うまくいけば三か所当たれると、本気で考えていた。
それにまだ後があると普通に考えていた。
もう一社の偉い人が職場に来る。
私へ移籍するように説得に来たようだ。
残念だがこちらはまだ、面接も始まってない。
職安との話も進んでいないので、止めて移籍することも可能だが、悩んだうえで出ていく事を決めている。
待機時間全部を使った話は、偉い人がヒートアップして終わる。
「今までガードマンばかりやっていた者が普通の会社に入って勤まるか!?」
俺もそう思う。しかし、せっかく取ったボイラー技士の免許を役に立ててみたいとも思うのよ。
クソの役にも立たなかったが。
偉い人はもう一度来ると言葉を残した。三顧の礼という言葉もある。次は移籍を受けようと思っていたが、来なかった。
非番の日が来ると、職務経歴書を持って職安に行く。
ようやく話が前に進む。
職員が電話をすると今度は向こうが難色を示す。
やはり警備員という職歴が引っ掛かったようだ。
「いいえ、しっかりしています」と職員が返しているのを聞いて、ボンクラだと思われてるんだろうなと。
まあ、当たらずとも遠からず。
少なくとも、一か月で辞めてるのだからボンクラには違いない。
これは無駄な事をやっている、やはり予定通りの警備隊に向かおうと考え直すが、職員の奮闘もあり、書類選考をすると前向きに進む。
帰宅して書類を揃えて発送する。
これでまた一週間かかるらしい。
しまった、と思った。
今度の面接は時間がかかり過ぎている。
いつもならとっくに終わって二社目も終わっている段階だ。
3日ほど経過して、面接をする事になる。
警備員歴しか書いてないような履歴書でクリア出来たのか。
若いうちからガードマンばっかりやっている男の一般企業への書類選考突破は、当時の職場でも小さな話題になった。
後に分かるが、私が評価されたのではなく、誰でも雇用するところだ。
洗濯機が自宅にない、ホームレスみたいなのも在籍していたらしい。
面接は三月下旬。ついに時間は無くなった。
仕事が決まるのは早くて四月かと思われた。
当時は分からなかったから、面接で落ちるものと思っていた。面接で落ちるのは普通だ。
特に人見知りが激しく、初対面では会話が成立しない私はだいたい、これで駄目になる。
二枚目の履歴書を書き上げて次の準備をして面接へ。
勤務先が市民病院になる。
面接する場所は市民病院の向こうになるので、ついでに病院へ寄っていく。
久しぶりの市民病院。いまから20年まえになるか。プレスで指が千切れて入院していたのは。
あの頃からそんなに変わらないが、飲食関係があの頃よりはるかに綺麗になった。いや、洒落たと言うべきかな。
屋上に上がって周りを見る。
あの頃から景色はたいして変わっていない。
よく上がってきては仲間と煙草をふかしていたっけ。
友よ、景色は変わらないが、俺も変わらんかったなぁ。
現地に到着して、インターホンを押す。
入ったはいいが参った。土足厳禁でかつ行き止まり。
まず靴を脱がねばならないが、こういった事を想定しておらず、見栄えは良いが、脱ぎにくい履きにくい革靴を履いてきてしまっていた。
脱ぐのに難儀する。笑うしかない。
入ると進む場所が分からない。
戻ってインターホンで聞こうかと思ったが、周辺は人の気配が無いうえに階段があった。
階段を上ると部屋があり、そこで行われた。
面接では予想通り会話が弾まず、こりゃ駄目だろうなぁと思った。
面白いのが意識高い系の質問。
「貴方はその仕事で何を学びましたか?」
ときた。
底辺ガードマンの仕事で何を学んだか。
「達観することを学びました。どうにもならないものは、どうにもなりません」と答える。
ここで私の最大のミスが発生する。
この職場、狭い部屋に七人ぐらい詰めて、状況に応じて数で行動するものだと聞く。
想像と違っていた。
2〜3人で詰めて、出動は一人だと思っていた。
後日知るが、他の病院では2人で詰めて出動は一人。何をするにも二人以上で行動って何をするのかと聞かれてしまう。
長年警備員をやってきた私は、いざという時はチームワークを求められるが、基本的に一人で活動してきた。
一人で自己判断、自己責任で任務を果たす。二十年近くそれでやっている。
それが何するにも二人以上の行動では息が詰まる。
工事現場の交互通行ではないのだ。
特にこれらの文章を読んでの通り、私は「変わり者」なので一緒の行動を取るには本当に相性次第になる。
相性が悪いと100%喧嘩になる。120%殴る事になる。今まで散々やってきてよく分かっている。
いろいろ社会勉強してきたが、一日、30分一時間ならどうにもで出来るが、四六時中は無理だ。
ましてや24時間勤務まである。
ちなみに24H労働をすると、一回当たり3990円の手当が出る。
分かりやすく書くと、8Hの給与+3990円
耳を疑った。
言っている方は「こんなに出るんだぞいいだろう」って顔をしているが、警備会社以下ってこの世にあったんだなと勉強した。
私のミスは、ここで断らなければならなかった。
四六時中の団体行動に、この手当は困る。
いくら仕事を喪失した身で我慢せねばならぬとはいえ、これでは辞めるのが目に見えている。
面接の可否は一週間後に伝えると言われる。
私はガッカリしたが、まあこれで次の行動に移れる。
時間ばかり無くなったが、こんな世界もあるのだと社会勉強をしたと考え直す。
一礼して出ていく。
つまり、私は一週間後と聞いて不採用と判断し、断るも何も、さっさと帰って三枚目の履歴書の作成に取り掛かるつもりだった。
履歴書をフィーナ生誕記念で買ったボールペンで丁寧に書いていく。
割と時間がかかり、どっか間違えると最初からやり直し。
本当に骨が折れる作業なのだ。
次の面接はもう四月になる。やれやれだ。
職場に戻って、返事は一週間後と言い、「次があるさ」と慰められる。
また「今の状況で雇用する会社はブラック企業の何物でもない。しばらく雇用保険を貰いながら様子を見るべきだ」とアドバイスを受ける。
そうしたいのもやまやまだが、貰うまで半年の無収入も困る。
ただでさえ、三か月は収入が無かったのだ。
段取りが整ったところで中央監視の会社から、採用すると連絡が入る。
すっかり駅ビルの警備隊に行くつもりでいたので驚く。
「返事は一週間後」で採用するケースがあったと社会勉強か。
参ったな、四六時中の団体行動は出来ないぞ、どうする?
とりあえず、やってみよう。最悪辞めればよいと普段通りの考えでいく。
その時、駅ビルには行けなくなるだろうなぁ。職安を経由しない所になる。
こんなキャラでも足掛け16年は勤務が出来て、そのうち14年は警備隊長として責任者を務めてきたのだから、人間には向き不向きがあるわけですな。
後に元の職場の客からは、「お前にはこれが天職なんだ、辞めるな」と言われる。
そう言っていただけるのは嬉しいが、しょうがないよねぇ、出ていくしかなかったのだから。
入社の説明を営業所長から受ける。
書類の文面を追っているだけだが、やけに嫌そうにしている。
よっぽどやりたくないんだな。
今思うと、新人や知らない人に説明をする事をしない(やりたくない?)社風なのかもしれない。
職場はまさにそうだったが、面接の時もインターホンは「靴を脱いで二階へ上がってください」とは言わなんだ。
もしくは、私がすぐに辞めると予想していたか。
制服のサイズを伝えるが、これは出勤当日になって現場で渡された。
一か月あるのだから、もう少し何とかならなかったのか、裾上げも出来なかった。
勤務開始後
==通勤編==
自転車で通勤する事を伝えて、了承されている。
そこで通勤スタイルはジャージ又はサイクルジャージを使用することになる。
そのスタイルは前の職場では評判が良かった。
が、ここは末端の雑用仕事とはいえ、上場企業様。
「お前は常識が無い、通勤はスーツだと我が社は決まっている!!」
と、リーダーからドたけられる。
これは俺のミスだ。致し方ない。
とりあえず初日に同席したマネージャー(面接した偉い人)には、「スーツで通勤なら最初に言ってほしいですね、持っているから用意しました」と言う。
偉い人は苦々しい顔をして、「あんな言葉は気にしなくていい、どうせ誰もスーツなんて着てないんだ」と答えた。
他の労働者が着ているかどうかは問題ではない。俺は着るのだ。
着れと命令を受けている。
裾上げされてない作業服を出されながら、明日はどうしようか考える。
役目を終えたと思っていた、艦これスーツが再び現場に出るしかない。
ここで困った事は汎用のカッターシャツを処分していた事だった。
つまり、通勤で自転車を使用する環境で酷使できるようなシャツは、退職と同時に処分してしまった。
手元に残っているのは名古屋三越で作ったオーダーシャツのみ。
これが綿100%で手入れに時間がかかる上、ある程度誤魔化せなくなったらクリーニングに出すことになる。
手間がかかる合間に、昔に買ったダイソー製200円(当時は安かった)のシャツで誤魔化していたのだが。
通勤スタイルはジャージから一転して、三越オーダーセットで望むことになった。
コストのかかる通勤だ。
バス通勤って言えば良かった。
「バス代を払ってもらう事はありませんよ、自転車で通勤しますよ」なんて言うんじゃなかった。
職場で着替えるとスーツの置き場が無い。
俺にはロッカーも無ければ下駄箱も用意されない。
それが勤務決定から一か月。今思えば、俺がさっさと退職する、またはさせることを前提にしていたんだなぁと思う。
だから営業所長がとても嫌そうな顔をして説明していたのだ。
彼は現場を知っているから、コイツがすぐに退職するだろうと分かっていたのだ。
俺もすぐに分かったが、どうせなら勤務開始前にコッソリ教えてほしかったなぁ。
とにかく脱いだ、スーツにカッターシャツは置き場が無いので針金のハンガーでかける。
こうすると俺だけがスーツをかけていて良く目立つ。で覗き込んで見れば襟にはMITUKOSHIの文字。
一番最初に入る文字が三越はあまり良くない。状況次第では憎まれる。
特に社会の底辺では三越の文字は隠した方が良い。底辺は三越が分からないとも思うが、どこかに分かる奴がいる。
(三河地区では松坂屋と三越の区別のつかないものが多い。あと、愛知県では松坂屋ではなく三越を使う事で反感を持たれるケースもある。俺の場合、艦これで三越の利用が始まった、で通じたから良いが…)
運用には気を使う必要がある。
しかし、針金で架けるしかない。
床に置けば何を言われるか分かったものじゃない。
ただでさえ説明も指示も出来ないが、文句だけは言える者ばかりだ。
警備会社以上の底辺ぶりに本当に驚いている時だったなぁ。
これはまずいかもしれないなぁと思いながら、MITUKOSHIの文字を眺める。
スーツも困る。
酷使し続けると痛んで壊れるのは目に見えている。
ただでさえ暑くなり始めていて、リュックサックまで背負っている。
ましてやロッカーすら与えられていないので、作業着は毎日持ち帰りどころか、すべて持ち帰りだ。
どうにかしてスーツの予備を用意しないといけない。
その時は艦これジャケットとセール品の二種を使用しながら誤魔化していたが、どちらも高いもの。
自転車とリュックで砕くわけにはいかない。
いずれ名古屋三越のヒューゴボスのコーナーで値段を気にしない買い物をしてやろうと以前から思っていたが、実行する時が来たかと思った。
しかし、自転車で酷使するわけにはいかない。
結局はヤフオクで酷使して捨てるスーツジャケットを用意する事に。
こうして、通勤で使えるジャケットは数を揃える事に成功する。
話は前後するが、スーツ姿で出勤すると病院の正面玄関に突っ立っている、上場企業の警備員の態度が違う。
うやうやしく挨拶をしてくるのだ。
何か勘違いしたらしい。
だから俺も勘違いする。
「とうとう、この俺も頭を下げる方から、下げさせる立場になったか…。感無量だな」
と、苦笑いしながら。
俺だけに違うからオカシイねー。
もっとも、その出勤する時間帯でネクタイ締めて整えてる者は俺一人しかいない。
他はヤマナカに買い物に行くような、ラフな格好だ。
なお、中央監視のメンバーはもう少しランクが下がり、競輪場かコンビニ、ゴミ捨てに行く身なりだ。
どうでもいいが、艦これスーツを作る時に工夫をしていて良かった。
工夫とは、自転車にガリガリ乗っていると、多少は太ももの肉がつくのでふと目にしないとスラックスでも歩きにくくなる。
ゆえに多少は大きめにしてもらったのだ。
してもらって正解だった。
体にピッタリ合わせて作ってくるオーダースーツで、自転車は自殺行為だぜ。
3900円で買ったヒューゴボスのジャケットと、15000円払ったダーバンのスラックスの組み合わせはどうかと考えて通勤した日、リーダーから文句を言われる。
「確かにスーツを着てこいと言ったが、着なくても良い」
今更何を言ってやがる。この、座ったまま動けない、太り過ぎのブタ野郎。
こっちは三着も買ったんだ。合計14000円だが、買った以上は使う。
さすがに声に出しては言わない。代わりに「ああ、そうですか」と陰キャらしい言葉を返す。
俺はあの玄関前に突っ立っている警備員に挨拶させねば気が済まないのだ。スーツを脱ぐわけにはいかん(笑
さらにしばらく経って、二週間目にぐらいか、またリーダーから文句を言われる。というか、また怒鳴られる。
「スーツは来て来なくていいって言っただろう!!」
さすがに頭に来たのでズカズカ速足で接近して睨みつけ、「そういやぁ、そんなことも言ってましたか」と答える。
返答次第では、自慢の大声で怒鳴りつけて退職するつもりでいた。
すでに、この頃は馬鹿々々しくなっていた。営業所長の予想通りなんだろう。
そもそもこいつらは大声を出して良くて、俺の声は少しでも大きければ、「ここは病院だ。声を小さくしろ!」と怒鳴られるのは本当に気に入らなかった。
数秒のにらみ合いの後、「パッツンパッツンのものを着てきてもいい」と、難しい日本語を使ってきた。
頭の悪い俺は要領を得ない。
だから質問するのだ。
「パッツンパッツンとは何を言ってるんですか。サイクルジャージの事でも言ってんですかね?」
と大声で質問する。喧嘩腰だ。
やはり、俺はこうでなければならないなと思った。
紳士的に振舞うのは、前の職場で責任者をやっていた時、三越で買い物する時だけでいい。
俺は所詮は学の無い底辺。
気に入らなぇ奴は野末の土にするつもりで生きていかにゃいかん。
っつうわけで、このスーツによる出勤はこれで終わる。
サイクルジャージで颯爽と出勤する。
そして病院正面玄関前を通り抜ける時、
「あざーす…」
と、嫌々挨拶する、上場企業の警備員。
てめぇ、態度が一日で変わってんじゃねーよ!!
==勤務編==
上でも書いたが、ここは説明も指示もしない。
万事が知らぬ顔で自分さえよければいいって感じで驚きの職場だった。
何が驚くかというと、仕事を教えることが無いので、知らない事は延々と知らないまま。
PCを使って通路の照明を入れるという、最初に教わるような内容が三年勤務していても出来ない親父がいる。
分からない事は聞けというが、何が分からないのか分からないので聞きようがない。
これは参った。
勤務二日目。
俺をどうするか、面倒を見たくない先輩二人が、大声を出しながら俺を押し付け合う。
俺はその光景を馬鹿じゃねえのかと思いながら眺めていた。
新人の前で見せる態度じゃない。恥ずかしいと思わないのか。
問題なのはその馬鹿げた光景をリーダー、サブオーダーが揃って知らぬ顔をしている。
俺が警備隊長だった頃はこんな馬鹿げたことはさせなかった、恥さらしもいいとこだ。
っていうか、生まれて初めてこんな光景を見た。
この話はレベルが低すぎて、なかなか信じてもらえない。
そんなキチガイな職場が市民病院の仕事を受けることが出来るはずがないと言われる。
それはそれでごもっとも。
とにかく、これはエライ所に来た。辞めねばならないなぁと。
とりあえず、試用期間の二か月は我慢して勤務して、それで辞めるかと、いきなり期限が決まった。
前の職場を引き合いに出して、いかいに新人教育が大事なのか、自分がどうやって新人を警備員に仕立てあげて勤務させてきたのか話はした。
だが、郷に入れば郷に従え。
俺が新人教育を施して投入していった話など聞く者はいない。まあ、ド新人が言う事じゃないが(笑
教育する下っ端が知らないのに教育をするのだから、こっちも参る。
何が起こるかというと、知らない先輩が知らない事を俺に教えるように言われ、教えられないからぶちきれて俺に八つ当たりするなど。
俺は言った。
使う気がないなら雇用してほしくなかった。
どうして雇用したんだ?と。
実は新人はもう一人いた。それは別の勤務地についている者を市民病院に転勤させたらしい。
つまり、雇用をかけていた一人の枠はすでに完了していた。
その時点で職安の雇用を取り下げねばならないのだが、どうも忘れていたようなのだ。
そこで俺が来たから仕方なく雇用した。
職安もまともな人材だと押したので断れなかったのか、"会社の方は使える"と思ったのか。
いずれにせよ現場では俺は要らない人だった。
面と向かって「こんな何も知らない奴を使ってどうする気だ!」とか言われる。知らんがな。
だから、ロッカーも下駄箱もない。納得した。
納得した後なので、スーツを着用の件で大喧嘩になる寸前まで行った。
辞めなければならないと思っていた。
==勤務内容編==
楽な仕事には違いない。
やる事は"蛍光灯の交換"と"カーテンの交換"が大半。
その他、定期点検やフィルターの交換がある。
一日の流はこうだった。
08:30 朝礼 定期点検に出動
08:30〜09:00 出動するが実は30分程度は三階の職員用休憩所で休憩
09:00〜10:00 定期点検
10:00〜10:30 三階
10:30〜11:30 いいかげん、中央監視に戻る
11:30〜12:30 昼休憩 クソ狭いので膝を抱えて座り込んで寝る。
12:30〜13:30 偉い人が昼休憩をするので代わりに中央監視で待機する
13:30〜14:00 三階
14:00〜15:00 フィルターを交換か洗浄に行く
15:00〜16:00 三階
16:00〜17:00 中央監視で座っている
17:00 夕礼 お疲れさまでした
(蛍光灯やカーテンは中央監視にいる時に電話を受けて出動する)
仕事は楽チン極まりなく、警備業で体力勝負をしていたのを思うと、コレで金を貰っていいのかと思うレベル。
仕事をしたくない人にお勧め。
実際にやる気ない人の集まり。
また、こんな感じなので教育という考えが無く、経験をしなかったら覚えないまま月日が過ぎる。
教えたくもなければ学ぶ気も無い。
ゆえに三年在籍していて、蛍光灯の電気の入れ方が分からない者がいた。
定期点検に至っては、分からないから前の記入を見て、今の数値を記入する、手抜き以前の問題。
それでいて先輩からは「お前たちは何もわかっていない」と小ばかにされ続ける。
ここはそういう扱いを受ける。人材とも思われてない。
俺がすぐに考えたのは、自分も周りの者みたいに爺になっていたらこれでもいい。
60ぐらいで雇用されてたら、悪くない。
やってもというか、出来るようにならないのだが、馬鹿でも出来る事だけをして、組織を満足に機能させられない偉い人から馬鹿にされていれば、20万支給されて社会保障への加入がある。
必死こいて働いても警備業ではそうはいかない。
爺だったら悪くないのだ。
こんな所は時間の無駄だ、来るのが15年早かったと思うのは、自分がまだ若かったのか。
若いと思ってないが。
あともう一つ。
これはどこでもそうだと思うが、正社員と非正規の落差が激しく、正社員は本当に仕事をしなくて、ノートPCで一日遊んでいるだけだった。
絶対に何もしない。
正確には何かA3の紙一枚に何らかの数値を記入してた。
一日の終わりごろ、思い出したようにやるのだ。
これも問題になっていて下っ端の者が仕事をせずに三階で小田原評定をする根拠になっている。
この三階は俺は良くないと思う。
病院の事務や看護婦も休憩に来るのだが、俺達の方が先に来ていてだべっていて、女達が後から来て先に出て行くんだよね。
女達は陰で言ってるよ、「あの中央監視の役立たずたちは、いつもあそこで遊んでる。あんなで木の棒、いつまで使ってるんだ」
先輩はそんなことはないと否定したが。
==退職編==
退職する際に今一度求人を確認して、しまったと後悔する。
これだという所が全部無くなっていた。
参ったなぁと頭をかきながら、とりあえず三か所を用意する。
元々いた所が火の車になっているので都合よく雇用されるだろうという件。
十年前にいた職場も火の車で来てほしいとの事。
もう一つは元の業種だが未知数。事務所は近い。
結局は元の所へ戻り、そこの会社に使ってもらう事にした。
ただし、雇用条件で折り合いがつかなかったらとりやめになる。
何故なら15年以上在籍して資格を持っている。下っ端の仕事では済まないのだからある程度は払ってもらわないといけない。
下っ端の給料なら、他の警備会社で下っ端からやった方がいい。
一番つまらないのが、下っ端の給料で責任者をやらされる事だ。それも今まで同様のモノを要求される。
で、結論から書くと、これはうまくいった。
下っ端との差はタカが知れてるが、差が出来る事が大事。
話がつくと中央監視の仕事はさっさと退職する。
いなくてもいい人材だったので、さっさと出て行けって感じでスピーディに話が進む。
上場企業なので責任とか試用期間とか何か言うかと思っていたのだが、責任も無ければ仕事もしないんだから、何も言わないわな。
復帰すると客や関係者から驚かれながらも歓迎される。
偉い人がわざわざ降りてきて「お帰りなさい」言葉をかけられたときは大変恐縮した。
みんな言う。
「帰ってきてくれて良かった」
「良かった良かった」
「本当に良かった」
こっちは少しも良くない。上場企業が務まらんかったんだぞ!(笑
当時は2021年07月頃は気楽だったが、2022年になると新人教育を担当するようになる。
マニュアルの制作など、ド素人の戦力化に力を入れる事になる。俺一人で。
やっぱこうなるのか。うまだっち。
鹿之介:
ようやく書いたぞ、こんな具合の文章を書くんだっけ?
フィーナ:
貴方が分からないってどういうことかしら?
鹿之介:
文章製作が一年以上延期されていて、どういう文章を書くのか忘れててね。
ポリン:
貴方の仕事よりワクチンが辛いわ…。まだ38度5分も熱がある。どうして?
鹿之介:
上の方では二回目のワクチン、下の方では三回目のワクチンです。
ポリン:
あの上の方の文章ってオリヴィエが実装される前だったのね。
時間をかけて出来上がった文章がコレ。
最後の"うまだっち"に昨年のお題を急に思い出した感があってオカシイわ。
鹿之介:
あんまり笑えないよね。
個人的に一番笑えるのは、上場企業のガードンマンの態度の変わり方。
フィーナ:
次の文章はアレなのだけれど、いつ書けるのかしら?
ポリン:
楽しいアニメの話ね、私は期待しているわ。
ただこのままじゃ、生誕記念2022が始まってさらに遅れるのではなくて?
鹿之介:
残念ですが、2022は中止。撮影して終わりです!
無理です、間に合いません。とりあえずヤマト2520の項目も消しておこうと思う。
フィーナ:
ヤマト2520は時期尚早だと思っていたわ。
ポリン:
それでは皆さん、楽しいアニメの話をお楽しみに!
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