2 発端から廃止までの歴史 スタジオyou時代
1995年のいつ頃か、カッシュ君から同人誌即売会の話を聞く。
興味を持った私は安房守に声をかけ、3人で会場へ向かった。
季節がいつになるかも覚えていない、風が強かったから秋から冬だろう。
我々が最初に入ったイベントは、スタジオYOU主催の豊橋におけるイベントだった。
「おでかけライブin豊橋」というタイトルになるのではないかと思う。
豊橋総合体育館という辺鄙な場所で行われ、建物の裏から入った記憶がある。
当時は美少女戦士セーラームーンが人気の高く、その本やグッズが多かった。
グッズといっても手製のバッジや便箋などが主で今のようなラミカードは少なかった。
ここでふと思い出すのが便箋。今は便箋を作る人がいないが昔は多かった。
あちこちのイベントで買い集めた便箋は使いもせずに溜まる一方。それらはいつま
でも大事に保管されていた。
当時から買い集めていた便箋は2015年1月に安房守に一部を渡すまで、使用実績が
無かった。せっかくなのでこれから使う機会を増やしてもいいかもしれない。
この豊橋のイベントで、私は同人誌即売会が好きになった。
作りたいものを作る。買う人がいるかどうかは別問題のような部分がまた良かった。
同族意識みたいなものまであったかもしれない。
後に私は作り手に回ろうとしたが、仕事に追われてついに実現しなかった。
残念で仕方が無い。しかし、時間が無かったのだ。
私はこのイベントに再び向かった。翌年の豊橋のイベントだ。
その時も三人で向かっており、それなりにものを買ってきている。
その後についても話がある。
記憶では豊橋駅前大通に面した名豊ビルで同人誌を取り扱っているショップがあり、
そこで私が安房守に買って持ってきている話しがあった。
全く当の本人は覚えていない。嫌だね、物忘れが激しくなると。
豊橋よりも大きなイベントがあると聞き、名古屋に向かう事にした。
無謀にも自転車で行く。これは日付の記録が残っている。
1996年2月12日。メンバーはカッシュ君、鹿之介、安房守の3名。
目標は金城埠頭にある国際展示場。
出発はカッシュ君の家で出発時刻は04:00頃。
寒風凄まじい中の国道一号線を走る。
なかなか辛い為か足並みが揃わず、ラインは頻繁に千切れた。
休憩所で記憶に残るのは今も存在する(2016.10確認)元宿のサークルK。
ここには行きも帰りもお世話になった。そして現在行われているサイクリングの作戦
でも利用しており、今後も潰れずにやっててくれるとうれしい。
(ファミリーマートになってしまうが)
記憶にあるのは、一畑山薬師寺付近に差し掛かった時に、一号線の歩道が無くなり、
慌てて増したに下り、線路を横断して旧道に向かった事と、矢矧川で持ってきていた
ペットボトルが凍りついた事か。くっそ寒かったねぇ。
現地滞在は一時間程度ですぐに撤退。私はこんな事を当時からやっていたんだね。
滞在時間より移動時間の方がダントツに多い。
元宿のサークルKに辿り着いた時は20:00ごろだったか。
いい思い出になった。
後日にカッシュ君が「名古屋まで自転車で行った」と周辺に吹聴してまわったが、
「何をしにいったのか」を問われて返事に窮する事が多発したとか。
言わなければいいのに。
その後は浜松、静岡を足を延ばしていく。
移動は原付を使っていたので道を覚える事ができた。
その知識も中途半端なもので、浜松市内と静岡市内に限定される。
ただ、道中の市町村は覚えたので磐田、袋井、掛川、島田、藤枝ぐらいなら何とか
なったかな?
浜松ではJR浜松駅の横にあるアクトシティ浜松のイベントホールが使われた。
これが駅からすぐと思っていたのだが、手前にある施設やホテルをやり過ごさない
といけない。これは忘れたというより鉄道で来た事がないので分からないのだろう。
原付止めたらすぐって覚えていたんだろうねぇ。
参加サークルは名古屋にいたサークルも見受けられたか。
静岡については原付、JRの二種を使っていたようで、道の覚え方が違う。
いずれにせよ山を見ながら、その山を迂回するように辿り着く。
ツインメッセ静岡がその場所。その裏にイトーヨーカドーがあるのは今(2017.01)
と同じ。原付ではその距離も大変だったが、帰還する際の潮見坂でエンジンが
熱だれを起こして登らなくなってしまう。往復300k近い走行距離は50ccには辛すぎ
る。なお、夏場では浜松から帰ってくる際も辛くなる。
これで停止して動かなくなったら、「豊橋入口で立ち往生。同人誌は名古屋に限る」
なんてよく分からん名言が出来ていたかもしれない。
JRでは、大通りを山に向かって歩き、道が狭くなったらそこを入って山に沿っ
て移動する。と記憶にあり、何だかよく分からなかったが、2016.12.31の撮影で
何とか思い出せた。
余談だが、かつて大佐とチャット(こう書くと、二人でチャットをしていたように
しか見えないが、実は私の隣に大佐が座って、ああだこうだと雑談しながら、ネット
をし、訪問先で他者とチャットしていた。こういう事はなかなか出来るものではない。
時代はテレホマン全盛期)していた時に静岡コミケっていう言葉が使われていた。
昔は"同人誌即売会=コミケ"で通じたんだねぇ。
今は通じないんだろうねぇ。
この豊橋、名古屋、浜松、静岡についてはあくまで、同人誌即売会が主であり、
他の事は考えておらず、観光的要素も無く、ただ、イベントに入って出て帰る。
そういうものだった。
これに観光的要素が加わり、お土産を買って帰るようになるのは東京に行くように
なってからになる。と思っていたが、1997年にわさびを購入とあるので、お土産の
購入はすでにあったかもしれない。
記録では1995年から始まり、1997年7月20日まで14回行き、記録が途絶える。
そこから次の記録が1998年5月5日で、それで幕引きとしている。
その時に私の同人誌即売会は終わりとなった。
理由は買うものが無くなった。ジャンルが衰退し、書く人がいなくなったわけだ。
当時の日記では「とても楽しかった」と、今と変わらない事が書いてあった。
当時の戦利品の一部。
左下にある亜美ちゃんは豊橋での購入物。
右下の便箋は今では誰も作らなくなった感がある。
右上のダ・サイダーについては他のキャラの姿が無かった。レスカとかはどうしたのだろか。
なお、他の男性キャラはゼルガディスが発掘された。
コミケの戦利品格納庫はちょっとしたタイムカプセルとなっているようだ。
神戸かわさき造船4が終了した後に整理されるので、その時に全部を撮影する予定。
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