2 発端から廃止までの歴史 C78
【2010年(H22) 08月 C78】
この頃から鹿之介や大佐に強烈な熱意が無くなり、コミケ作戦は小旅行の様相を見
せてきた。必死に急いだ列車も、わざと遅らせて楽に進もうとするようになる。
また、この頃から同人誌の置き場に苦慮するようになる。
8月13日
鹿之介が着替えを数多く用意しようとしているが、荷物の七割が着替えとなる。
なかなか踏み切れないようだ。ズボンを二着用意するか、最後まで悩んでいるのが
記録として残っている。
夏コミで使用された長ズボンに大佐がファブリーズをぶっ掛けていたが、効果はあっ
たのだろうか。そばにいると、わけわかんないんだよね。
この時には、豊橋駅の先にある100円ローソンで物資を買い込んでいる。これが最
後まで続いた食料品への供えとなる。
今となって気づくが、この時の補充はあまり使われなかった。
買ったパンが撤退時まで温存されている時もあった。徐々に食べなくなっていたの
が顕著に出ていたのが大佐だが、これは鹿之介も同じことだった。
後年のことを考えると、この頃から大佐に不調が合ったと考えるのは分からないで
もないが、無理だろう。むしろ、鹿之介の方が体調不良を訴えてたぐらいだ。
ながら号が名古屋方面での人身事故の影響で一時間の遅れが出る。
しかし、そこは夜行快速列車。東京につく頃には予定通りだ。実際にはかなり余裕
があるはずなので、少々の遅れは無いのも同じだ。
8月14日
雲が厚く蒸し暑い。直射日光に照らされることは無いが、暑く辛かったようだ。
大佐がジョニ赤を持ってきたのはこの日。後でジョニ黒を教えたんだっけ。
いらん事を言ったと後で後悔したが、どうにもならんわ。
東方ジャンルは東館のほぼ半数を占拠。大規模で人数も凄い。人口密度では3日目
の一部を凌駕する。と記載されている。一部を凌駕というのは最終日男性向けの
BCDとかいった過密地帯を指すと思うのだが、アレを髣髴させるというか以上
なのだと。
壁は割りと平穏で、島の移動が危険で動けなくなる事態が何度も発生している。
「危ない!」
「押すな!」
などの掛け声がよく飛んだ。鹿之介も声を出したか。
購入を断念するより、このジャンルに滞在するのが嫌になるほど厳しい。
なお、熱心に鹿之介は東方ジャンルに足を運んでいるが、この頃の東方新作は
東方星蓮船で鹿之介はすでにやっていない。
東方花映塚で鹿之介の東方は終わっていた。9。
恐ろしいことに、大佐も新作をやっていないのだ。
秋葉原に到着して大佐の関係者がお勧めする食堂に向かうが盆休み。微妙な蕎麦屋
に入ってみるが失敗。あまり口に合わず、鹿之介がわびるシーンもあった。
後年、大佐がガンにやられた後に外食をする際に、軽く何か食べるのならと、その
蕎麦屋を提案したが大佐は受け付けなかった。
うん、口に合わないとこんなもんだよなー。
寝不足が厳しく、秋葉原巡りを切り上げてホテルに入っている。
なお、ホワキャン、ガチャ屋、まんだらけ、K-Books、ソバ屋、紙風船と行ってい
るのでまだまだ秋葉原での活動があったようだ。
8月15日
出発の際に名も知らぬ同胞の姿をロビーに見かける。
いよいよここのホテルにも来たか。予約が簡単に取れる穴場のつもりだったが、今後
はさらに厳しくなるだろうと気を引き締める。
現地に入るとチャッピーに囲まれたとある。
すでにチャッピーは固有名詞として存在していた。
秋葉原に戻ると、リカーズハセガワ(夏コミの後で行く場所ではない。こっちは着替
えをしたとはいえ汗まみれで、場所も狭い。冬コミ限定となった)、ホワキャン、
とらに行く。また、まんが王国が潰れた事で二人でショックを受けていた。
しかし、まだ秋葉原で活動していたんだなぁ。
記録では、秋葉原以外の場所へ行こうと提案があるものの、どこに行くべきかを考
えるに至っていない事が書かれていた。
この時はまだ、鹿之介の企画力が全く無かったのだ。
それにしても、2日も続けてホワキャンに行くとは。
東方全盛期は違うなー。
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