8 あとがき
私も大佐も本来ならば家族がいて、一児か二児の親であり、子は中高生ぐらいになっていたであろうか。
最近は晩婚が進んでいるから、出来たとしても小学生か?
いずれにせよ、一般人の軌道から大きく離れたところにいた。いや、進んでいった。
大佐のように、進みたくて進んでいった者。出世栄達や家族にマイホームだとかいったものに興味は持たなかった。ただ、自分のやりたいことを突き進んでいった。
私などは初期段階でつまづいてしまい、大きく出遅れた他、高収入も安定した職も絶望的となった。その行き着いた先が「何がしたいのではなく、どうしたら生きていけるか。余人の持つものが得られないと分かった今、どうやって生きていくか」という、後ろ向きな発想だった。
私がもし、派遣でも何でも高収入を目指し、不断の努力が実ったのならば、16年に及ぶコミケ作戦は無かっただろう。
この16年のコミケ作戦は、その世界に突き進んで行きたい男と、すでにそこにいたが、外に出る理由がなくなってしまった男の夢物語だった。
仕事についても大佐は信念を持って活動していた。技量があったので会社からも重宝されたが、忙しくまさに休む暇無しって感じだった。好きな仕事を続けるのも厳しいものだと思った。
私などは「この障害の身、使ってもらえれば何でも良し」として町工場でも使ってもらえない現実から、底辺社会に降っていった。底辺のいい所は、夏も冬もあっさり休日を取ることが出来る事だ。
やがて生活に余裕のある(金ではなく時間)私がコミケ作戦の立案を行うようになり、人の手配なども行った。
生活スタイルが冬と夏のコミケを中心に組まれた。そして、その年に二回のお祭りを楽しむために働いて、辛抱して金を貯めた。
そんな人生に価値があるのか。
親に孫の顔も見せられないどころか、伴侶を紹介する事も出来ない。
仕事も先が見込めないものばかりだ。
いつかどこかで、大佐にも相談せず、これでいいのか考えた事がある。
仕事して、金は生活と趣味に使う。後はコミケ。
お互い、そんなんだった。違いがあるとすれば収入に開きがあるぐらいだ。
疑問がなくなったのは何時頃だろうか。そのうちに疑問は消えていった。
そしてこういった半生を過ごして来たことを後悔していない。何故ならなるべくしてなったからだ。
言い訳としたら最低級のものだが、「その時、出来ることをやってきた結果」「人的資産も得られぬのなら、愉快に生きるしかない」「死にたいが三度も失敗した。死ぬまで生きてみるしかない」
大佐はどうだっただろうか。
http://blog.livedoor.jp/godsokuhou/archives/2246081.html
大佐のメールにあったアドレス。
体調を崩していた大佐が、俺もこうして死んでいくかもしれないというような事を言っていた。
底辺社会で生きてきた私は気軽に言った。
「無理を重ねるから体が辛くなるんだ。駄目な時は休むんだ。体を壊すほど働いたって、いざという時、会社は助けてくれないぜ」
経験者は語るのだ。
無理に無理を重ねていた大佐。
彼はやりたいことをやっていたのだから、止めるつもりも無かったのだろう。
後から言うのは簡単だ。一日の平均睡眠時間が2時間で体が持つわけ無いとか。
酷い不調が続いて、若い頃の無理がたたったと言った時に、思う所があっただろう。
天野大気氏が亡くなって半年後。大佐にガンが発覚する。
後悔はしたかもしれない。
前向きな彼は、ガンを克服してコミケには必ず行く。行かせてくれと言った。
私は理性では絶対に駄目だと思っていたが、若い人のガンは助かる見込みが少ない。胃とか腎臓じゃない。大腸だ。最悪の場合を考えるのならば、ある程度は意見を聞かなければならないのではないか。
最後の最後までコミケを気がかりだったのだ。そして、完治と判断し作戦は続行と決めた。
そして私は最後の最後で、マメに連絡を取るという事をしなかった事を激しく後悔した。
あの2016年6月16日のメールをもって後はコミケ当日に会うっていう、従来のやり方が間違っているのだが、気づかなかった。
もし、状況悪化を悟ってメールを繰り返すなり、電話をかけたりしていれば、緊急時に対応出来たはずだ。
(私と大佐は普段からメールのやり取りをしない。必要に応じてやるスタイル。それで16年やってるから不思議と思わん)
悔やんでも悔やみきれないが、最後の状況を聞いたときに、私に思う所が一つあった。
作戦は続行である。私はそう解釈した。
私はC92を目前にしてようやく、この長い記述を書き終える。
コミケ作戦はC90をもって終了し、C91でアヴリルの撮影を行い、思い残すことが無くなった。
ただし、墓参りぐらいはやらねばならない。
コミケ作戦のような規模の大きいものは行わないが、シーズン期にビッグサイトに訪れ、「やあ大佐、今度はどこを回るんだ?」などと、気さくに語りかけるぐらいは良かろうて。
ただし、仕事のこともある。
必ず行けるとは限らないし、行けない時もあろう。
最低でも、年に一度は行こうと思う。
長々しい駄文を読んで頂き、ありがとうございます。
読んだ方に何か得るものがあれば良いですが、何も得られないかと思います。
私から言えることは、「人の一生の価値は他人が決めるものじゃない」自分の進みたい方向へ、力いっぱい進めば良いと思います。
私はまだ生きているので、もう少し、いや大佐の分も生きてやろうと思います。
直近では自転車の交通事故で頭部からアスファルトに叩きつけられ、血まみれになったのですが、不思議とピンピンしてます。まだ死ぬなって事でしょう。
(ヘルメットが無ければ死んでいたとされている)
人生がうまくいかなかった方や、同人誌を読む事しか楽しみがない方、艦これを惰性でやってる方、私のようにあきらめて底辺で働いている方。
力いっぱい生き抜きましょう!
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オマケ
アウトサイダーな発言
大佐が家族について、こんな事を言った。
「女房は要らないが、自分の子供は欲しい」
えらく、難しいことを考えるなぁと思った。
仕事で忙しい大佐は家にほとんど戻ってこない。収入があっても離婚されることになるのが分かっているから、女房は要らないというわけだ。
しかし、女房あって子供があるのだ。鹿之介には難しい話だった。
鹿之介が職場で自殺する者について話した。
「何もかもうまくいかなくて死のうとしたが、自殺に三度失敗して、死ぬのをあきらめた。
特に真夜中の暗い海は飛び込もうと思っていても、怖くて逃げてしまった。
死ぬという事は、類まれな勇気を持っているか、すでに壊れているのだ。」
話が終わるので、しないように。