神戸かわさき造船これくしょん4 神戸港編
神戸港編
神戸かわさき造船これくしょん4に行ってきた。
泣いても笑っても、これが最後の同人誌即売会。悔いが無いように行動したかった
が、所詮は私のやる事。体調不良が発生したり、作戦ミスを起こした。
それでも楽しいひと時を過ごし、いろいろな方の作品との出会いは最高の思い出で
あり、大切な宝物として生涯、抱えていくものなんだと思う。
では、最後の作戦を書き残しておく。
2017年5月19日(金)
佐藤超先生から連絡が入る。
会社から転封を命じられ、明後日の土地に飛ばされた佐藤超先生がもう帰ってきて、
飲み会をやりたいのだと。分かるが、出発してまだ10日あまり。
もうホームシックにかかったのかね。
飛ばされたとはいえ、自家用車で二時間前後の土地なので、二週間に一回は自宅に
帰ることにしたのだと。そりゃいいことだ。彼は奥さんに娘が二人いる。帰らなけ
ればならない。
そこで飲み会の予定日は5月27日となった。
この日程は、神戸かわさき造船これくしょん4に出発する前夜だが、気づくのは
もう少し、後になる。
5月24日(水)
鹿之介は仕事が終ると、大急ぎで名古屋に向かう。
佐藤超先生に話していた、ジェイアール高島屋に出来たゲートタワーでのお土産が
無いので急遽、調達する為だ。
これは本来、艦これオーケストラの後に行う事だったが、時間の都合もあり断念し
ている。また当時は佐藤超先生と会うのは9月になると想定していたので、後回し
にするしかなかった事情もある。(ちょっとした菓子を買っても四ヵ月後はまずい)
慌てていろいろ買う。
神戸に行く直前なのに、わざわざ名古屋でケーニヒスクローネで洋菓子を買うとか
意味があるのか無いのか分からない事をする。
5月27日(土)
超飲み会が始まる。
気の利く佐藤超先生は私へのお土産として、なかなか良い焼酎を持ってきてくれた。
ためらってはいけない。明日の事はさておき、呑まねばならないのだ。
あと、地図の作成をここで行う予定だったが、ついに出来なかった。
5月28日(日)
04:00起床
いよいよ最後の作戦が開始された。
準備は整っているので着替えて再チェックを行う。
昨日の後始末が出来ていないが、間に合わない。
しかし、飲み会に用意していた飯が大量にあるのでこれを食べて腹ごしらえは出来た。
しかし辛いのは二日酔い。酷くはないが軽くも無い。
体調の動向次第では作戦に影響を及ぼすだろう。
最後の最後でこの不調は笑えないが、思えばコミケ作戦でも酒が原因で体調不良を
起こした事がある。何のこれしき、経験でカバーだ。
最後の作戦の装備品はアヴリル一式、着替え用リュック、手さげバッグ。
戦利品を入れるものは三越ポーラの紙袋を用意。ポーラは予定通りなのだが、これ
は三ノ宮で持ち歩ける物ではないので、リュックに仕舞う事になるだろう。
紙袋の補佐に三越艦これコラボのカバンを用意する。
これは最後まで悩んだ。リュックがあるのに、予備の手さげカバンを持ち歩くのは
邪魔になるだけではないかと。決め手になったのは、リュックをロッカーに仕舞っ
た後のことに、高い金払って買ったものを寝かしておくのはどうかと言う貧乏人の
発想から、出動が決まった。
そういえばその手さげカバン。名古屋の艦これオーケストラで持って来ている者を
探したが、自分以外では一名しか確認出来なかった。1700人近くいたんだ。もっと
いたはずだろうて。
ポーラの紙袋等はどうだろうか。発売から半年は経っているので、使うならとっく
の昔に皆は使ってるね。C91で轟沈させてしまったクソ提督も多かったかもしれない。
到着。
お久しぶりの神戸。いつもの光景。
ここまで来て、これを見て思った事は、とうとう一人になってしまったなぁ、と。
この一人ってのは、作戦参加者が一人である事は勿論だが、この事を話す相手もい
なくなり、当然のように戦利品を渡す相手もいない。
むしろ、終ったものを無理やり続けているのではないかとすら思った。
士気は上がらなかった。
二日酔いによる体調不良が原因とか、そういう問題じゃなかっただろう。
いつも通り、西口から出る。ポートラインに乗って市民広場前へ。
そして前回のように並び(撮影が無いのは、前回とほとんど同じ所で待機していた
から。これはこれでびっくりかな)開場を待つ。
今回はあらかじめ、パンフレットを買うことが出来たので、中を見ながら時間が潰
せた。まあ、前回が異常だよね、パンフは入場と同時に買うってのが。
待っている途中に想像もしてなかった事が発生。
いや、予想は出来たがまさか、神戸で…と。
待機列にいるあいだ、急激に体調が悪化。例の自律神経の乱れが極端に発生して、
立っていられなくなった。ここまで来てこんな馬鹿な、と。
コミケでの異常は当然だが、こっちは鹿之介の単独行動で行われてきているもので
大佐の関与は無いのだから、ストレスによる自律神経の乱れがこうも出るとは。
スタッフの声が聞こえる。
「具合の悪い方はいますか?」
最後の最後で待機列から離れようかとすら思った。
原因は分かっているので、ここは心を鎮めて、頭を冷やす。
何とか落ち着くが予断を許さぬ状況。ここまでくると、昔の人が言う、「祟り」と
か「呪われてる」または「とりつかれている」って考えるのだろうか。
これは自分の問題。解消するには何かあるはずだ。私個人が納得する何かが。
何かの条件が整う事で、これは収まるのだ。それが何か分かるのは翌日になる。
一年ぶりになるかわさきのイベントは2の時のように音楽が鳴りっぱなしだった。
このイベントはこうでなければならない。
あの時は一枚目のサントラしか市場に無いので、アレがエンドレスで流れていたが、
今回はいろいろあったんじゃないかな。
いつも通り、ぐるっと回る。
不思議なもので館内に入ると調子は良くなる。まあ、良くなるといってもたかが知
れており、どうにも辛かったが。
辛かったせいか、予定通りにいかないものもあった。見落としが多かったようだ。
最後になるから荒潮の本を2〜3冊買おうとしていたが、買ったのは一冊。そこは
去年、麻耶様のえろ本を買った所だ。他はまあ、こんな所かな。
(戦利品の撮影日がつい最近(笑。これは戦利品の撮影が行われていなかったのが分かったので、急遽行ったのだ。
この8月末まで整理が出来ておらず、かわさきの戦利品はそのまま、山積みになっていたので、撮影には苦労せず)
何度か回った後、ねるとりんげんの列に並び、その後、神戸牛合同を買う。
後で二部買えばよかったと後悔する。沢山あったけど、100部は作ったのかな?
(同人誌はこの後、ほとんどが自炊され本棚から消える。このパワー満ち溢れる
神戸牛合同は温存したかった)
後悔はまだ他にも、お姉ちゃんは心配性を買い忘れた。(人が多かったので後回し
にして忘れる)麻耶様の本を発見できずに終ること。
最後と気合が入っていても、大ベテランでも買い忘れるのはしょっちゅうなのだ。
会場では他に、陸自の協力を得て軍事車両の展示、制服の体験着用があった。
私も通信指揮車に乗ってみたかったが荷物が多い。あきらめる。
駆逐艦菊月に関する写真や現物の展示があった。見るとハワイのアリゾナみたいに
菊月が残っており、何とかしたい気持ちも分かろうか。
飯を食べる。これはどて丼のようなものとヤキソバを頂く。
海軍カレーは大人気だったが、列が長すぎる。待てない私は隣を食べるのだ。
腹も膨れると、これでお開きとした。
本来ならば、これが最後なのでアフターイベントとかあるのなら、最後まで開場
に踏み留まるべきだと、当初は考えた。最後まで参加して感慨にふけるべきだと。
だが、最後であればあるほど、いつも通りの行動をしたくなった。何だろうか、
最後の日を平素と変わらぬように過ごしたいっていう心境に近いのかな。
いや、最後の日を過ごした事がないから分からないか。
とにかく、これでお開きなのだ。
神戸のみんなにありがとう。
ビッグサイトに集まる強者達にありがとう。
厳しい作戦に参加してくれた仲間達にありがとう。
そして最後に大佐にありがとう。
(この当時の文章は、複雑な心境で書かれていたのだろうか)
会場を出ると、近場にあるUCCのコーヒー博物館に向かった。
徒歩十分もかからずに行ける距離にあり、ついでに行くには都合が良かった。
思えば珈琲についてはこれといった知識も無く、ティスティング能力も下の下。
私のようなティスティングの出来ない者でも、分かる飲み比べが用意される。
ホット用の豆を使ったアイスコーヒーと、アイス用の豆を使ったアイスコーヒーが
出されるので違いを比べる事ができる。
比べると言っても飲めば極端に違いがある。
どんな感じかと言うと、前者は間延びした感じ。ネスカフェ、ゴールドブレンドを
少量のお湯で溶かして水を入れるとあんな感じになる。
後者は一般的なアイスコーヒーで引き締まっている。
あえて前者がいい方もいらしゃるだろうから、飲料の世界は奥が深いのだ。
館内では一度、てっぺんまで行き、下りながらその歴史等を学ぶ事ができる。
まともに見ていると二時間はかかるだろうから、時間がつくってゆっくり見た方が
良い。この後に空港行って海洋博物館行ってっとツアーみたいに予定を組むと、
コーヒーのクイズに答えられなくなるのだ。
ちなみに私は失敗した。やり直し出来る回数は三回あるが、私は一度の失敗で終了。
男が何度もやり直してはいけない。またの来訪時にじっくり見て勉強しよう。
ポートライナーに乗って空港に向かう。
神戸空港のフライトデッキでアヴリルの撮影をを行う案があったが、さすがに日曜
日では人も多いから駄目だろうと思い、やめた。やめて正解だった。
子連れが沢山いて、出せる状態じゃない。
久しぶりの空港ではしばらく、飛行機を眺めていた。
一度は乗ってみたいが、いつになるのかなぁ。
(スカイマークは売り上げが伸びてるそうで)
ポートライナーで北埠頭経由で三ノ宮に戻る。
次は海洋博物館に向かう。
暑くて歩きたくないので地下鉄を使用。これがどこにあるのかイマイチ分かりにく
く、慣れが必要。次に神戸に来るのはいつになるか分からないが、頑張って覚えて
おこう。花時計前がよく分からないので、"そごうの真裏"と覚えよう。
(珍しく先頭の座席に座る。こういう座席は名鉄でも滅多に座れないのだ)
海洋博物館では帆船の模型展示が主になっていて、ただ感心する。
帆船の力強さは乗ってみないと分からないんだろうなぁ。
かわさき重工の展示があるのでそれも見てみる。
創設者の話から始まる歴史は読み応えがある。造船から始まり、今ではあらゆる
ジャンルで最先端の技術を駆使して、社会に貢献している。
世間ではトヨタとかソフトバンクの時価総額がいくらだとかで会社の優劣が決まる
かの話しを耳にするが、貢献という意味では決して劣らないどころか、その二社よ
り高いところにいるのではなかろうか。
(企業のあり方が違うといえばそれまでだが)
まあ何にせよ、これほどの会社に苦労して入社したのに退職して競輪選手になるの
はどういう心境だったのだろうか。
底辺社会の住人、鹿之介は自殺行為にしか見えない。
きっと、本人にしか分からない何かがあったんだろう。
大きい瑞鶴の模型があるので五航戦のファンはどうぞ。
(川崎重工の博物館)
(ど狭いので覚悟を決めて登ろう。
てっぺんまで行って徐々に降りてくるようになっている。
一度は行ってみよう。名古屋のテレビ塔と同じで二度目はいい)
(タワーから撮影。この町は山と海で構成されているのだ)
(見下ろすとスタバに並ぶ列が見える。コーヒーを飲むのも大変だ。
どうしてあんなに並んで入ろうとするのか、私には分からなかった。何か来ていたのかな?)
タワーを降りると明石ビールなんてあるので、一杯飲みたくなったが、体調不良は
続いており厳しい状態だった。再突入では何とかしたいが平日だとやってるかな…?
その後は、待ってました摩耶山。
かわさきのイベントといつも連動していた摩耶山は今回、日没を目指していたので、
やや遅めに向かった。これがいけなかった。
摩耶山編へ進む
戻る