2 発端から廃止までの歴史 C67
【2004年(H16) 12月 C67】
C67はC58と並ぶほど悪天候に苦労した作戦だった。
記録では、出発時から判断ミスをしている。
今思えば、本当に準備不足というか"甘く見ていたわけじゃないけど"これで良し
と思う、ベテランじみた判断があったように思う。それが誤りを生むのだ。
あの頃から暖冬が始まっており、C57のような厳しい寒さは無くなっていた。
そうした状況も判断ミスを発生させる遠因となっていたか。
軽装備で出撃した。
翌日に雨、または雪が降ると大佐が情報を持ってきたが、二人はカサを現地で買え
ばいいと判断して出発時に買わず。そして現地に入って以下の文章通り。
「平成一六年十二月二十九日午前五時、我等二人は、降り盛る雨の前に、傘すら
保有してなかった。」
何だか、マヌケな話。当時の記録文章そのまま。
これも今から思えば不思議な話しで、どうして雨具対策をしていなかったのか。
これまでに散々に雨に打ちのめされているのに、六年目を迎えても対策が講じるこ
とが出来ていない。これは理由があった。
六年目になるが、それまでに一度も冬の雨を体験した事がなかった。ゆえに想像も
つかなかった事が当時の記録に残っていた。
その突入日は企業に行き、安房守の依頼を果たす事にあった。
これも報奨金として5000円が渡される事になっていたが、この寒風と雨の中では割
に合わないので5000円を返してやめようという会話があった。
濡れる中、大佐が合羽を取り出した。Cレヴォの苦い体験を戦訓としていた彼は
しっかりと用意していた。濡れながら待機をするのは鹿之介のみとなった。
だが、この時は本当に運が悪かったのだろう。
大佐のなけなしの合羽は取り出す過程で破れてしまい、大山トチローのようになっ
てしまった。この後はハンカチで表面を拭いては絞るという無益な行動を続けた。
C58の時より状況は酷い。
当時の記録では鹿之介がオーガスト、F&C、プリンセスソフトに行った。
苦戦されたのはプリンセスソフトで、ブースは同じなのだが待機列が違ったようで
雨がミゾレに変わった厳しい中、50分かけてレジにつき、あっちに行けと言われる。
並びなおして安房守の依頼を果たして、もうひとつ、タオルセット(どうしても必要)
を買おうとしたら、あっちに行け(最初の待機列)と言われて退散している。
当時から企業ブースの接客は競輪場以下のレベルで、誠意のカケラも無い対応だった。
まあ、臨時で数だけ集められた雑兵に質を求めてはいかんが、最低限の質とはどこ
にあるのだろうか。
どうこう言っているうちにミゾレは雪と変わった。こりゃマズイでぇ!
(このプリンセスソフトの一件は、合同ブースで待機列は別ってやつなんだけど、
この形式で発売している所は今は無いんじゃないかな)
大佐の方は激戦でハズレをひいてしまった。
まず、15分で買えると言われたスタジオメビウスで散々に苦戦する。
大佐「何が15分だ」
さらに鹿之介が眺めていた、サーカスの列は牛歩でこれも苦戦。確か生徒手帳風の
テレカか何かで大佐がぼやいていたっけ。
大佐「本当に欲しいのか」
さらにネーブルでは目の前で売り切れ。よくある悲劇やね。
アルケミストでは一枚だけのテレカ購入は客じゃないらしく、投げるように邪険に
扱われたとあり、鹿之介のプリンセスソフトより酷いと、当時は話題になった。
大佐「みんな万札を何枚も出して十枚とか買うのに、俺が一枚くださいと言ったら、
一枚ですか?と聞き返されて、そうだと答えたら、素っ気無く梱包され、投げる
ように渡された。あきらかに他の客と扱いが違う」
あの頃は"売ってやる"みたいな商売が通じていたんだろうと思う。
後年、オタ産業でもそのエロゲ関連が急激に落ち込んでいったのは、客を大事にし
なかった事もあるが、売り上げにアグラをかいていたのが原因だと思う。
鹿之介がこれから後、オーガストとういんどみる以外、ほとんど買わなくなる。
置き場が無くなったというより、あの時は「そんなモン、無理して買ってもしょう
がねぇや。」という気持ちが大きかった。
その結果がういんどみるでアヴリル購入となり、後のリースリットライフに繋がる
のだから、先の事は分からんね。
その後、塩ラーメンとの合流に遅延が発生した場合、チェックインを各自で行うと
いう決断をするが、遅延無く事が進んだ。
鹿之介と大佐の疲労が限界を超えており、心身ともに余裕が無かったのだ。
天下一で夕食を食べた後にカプセルホテルで打ち合わせをする。
超依頼の内容が大佐の趣味と合わず、相当に不機嫌となったらしい。また、当時の
記録には
作戦開始以来、本日の一日は記録的な苦戦を強いられ、長く記憶される事になるだろう。
冬の雨→みぞれ襲来→雪、ふぶく
の三連コンボ。 そして雨具は基本的に無い。
しかし、そんな思いでも、語り合う仲間が大佐しかいない。合計五人いるメンバーで、この厳しい思い出を語れるのが
二人しかいないのは「なんだかなぁ…」と思いながら、さっさと寝る。
思い出を語る相手もいなくなってしまったよ。
ホテルではアクシンデントが発生。
細かい記述が無いが確か、インフルかノロだか分からないが激しい咳を繰り返す者
がおり、大佐と塩ラーメンがついに寝られなかった。
そして翌日、大佐が風邪をひいてバファリンにすべてを託して出撃する。
「風邪をひいても、薬で強引に参加が出来る」という事が悪しき慣習にならん事を神に祈る。
思えば立川競輪グランプリの時(以下略
最終日では超依頼で予算が無くなり、安房守より預かる金を転用して乗り切っている。
金に困ったコミケだったんだね〜。
超依頼が数万円規模とあり、記憶では40箇所まわった時があったが、アレだったかな。
大佐も大変だったのだ。
みんなも「小遣いがもらえるから」と他人の依頼を受けないように。
際限なく来た場合、死ぬから。
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