2 発端から廃止までの歴史 C70
【2006年(H18) 08月 C70】
前回に続いて大佐が不在。久しぶりに頼経が参加する。
佐藤超先生が随分とお疲れになったのだ。
8月11日
東京に到着すると秋葉原に移動してロッカーを確保する。
これは初動が遅れるので後に東京駅のロッカーを確保することになるのだが、あの
時はまだ秋葉原が中心だった。
無線の数が無いので鹿之介と頼経が合同で動いて企業に向かったようだ。
後に乱用される"ごきげんリース"はこの日に買う。(確か、ハガキを買って送り、
そのうちにでかいダンボールにリースが梱包されてくるシステム)
(一つは鹿之介が後に小田原や岸和田に持って行ったもの。もう一つは安房守に
譲渡され、岐阜や三重などの主要作戦に参加し、2015年にいろいろあって行政に
没収された)
オーガストが終わると鹿之介はCUFFS。頼経がminoriに並ぶ。後者はどうにもなら
ずに撤退となる。二時間並んで戦果無し。
今では考えられない判断。というのも、牛歩で進まない列は並ぶのを放棄する
のが当たり前になっているのが今だった。(今っつっても一年前だが)
"てんや"に入った記述がある。
天丼の専門店で佐藤超先生のお気に入りだった。
他の者も好んでおり、山手線のガード下にあった頃はよくお世話になった。
そのてんやは移転して末広町(ホコ天に出て右にやっと歩く)にうつると我々が
補足出来なくなり行かなくなる。
この時は移転前であり、その山手線ガード下に工事が入る前だった。
昼にてんや、夜に喜多方ラーメンに入っている。
ラーメン屋はどうなったのだろうか。
8月12日
びっくりした事が書かれていた。
まず、ホテルがカプセルではなくビジネスホテルに変更されていた。
オリンピックイン神田を利用したのがこの作戦で初のようだ。
皆の評価が良く、冬もここにする事が書いてある。いやぁ、覚えてないね。
相変わらずのイビキについて書かれているが、頼経、佐藤超先生と並ぶと逃げ場が
無いので耳栓を用意するしかないが、当時も直近も容易が無いのだ。
またこのホテルにたどり着くのにどうも迷うようで、この初回から迷っていた。
さらに驚くのが起床が08:00。列規制解除後にコミケに入る作戦となっていた。
列規制解除後に入るのはC91が最初で最後と思っていたがこれには驚いた。
鹿之介は記憶力無しやね。やたらとびっちり書き込んで残しているのは、脳に使わ
れる記憶領域が小さいせいか。
くそ暑い那珂、一生懸命に並んでいる同胞の姿をクーラーのある部屋から眺めるの
を勝ち組になった気分と書かれていた。
なお、間に合わないので負け組みでもあると書かれてもある。
8月13日
早朝の出撃が遅れる。
トップスピードで目覚ましを鳴らす佐藤超先生が起きないせいだと。
04:00起床はこの頃から始まっていたようで、これが以降の作戦の基本の時間となる。
雲が出て雨が降らない最高の夏コミだったとある。こんな日もあるのね。
佐藤超先生は疲れきったようで荷造りもままならず、13:20頃に集合し、荷造り
を始めるが遅々として進まず。塩ラーメンがハートマン軍曹ばりにせかすがどうに
もならない。ゴーマー・パイルはいくら言ってもゴーマーでしかない。
彼の荷造りは塩ラーメン、鹿之介で行ったようだ。
また、秋葉原では解散してカレー屋で再合流したが、塩ラーメンが佐藤超先生とや
りあったらしくてぶち切れて戻ってきた。
この時の状況をこう書いてある。
「超はいまや立派な海兵隊員となった!」
どういう意味だろうな?
また、帰りの新幹線で海兵隊長佐藤超先生がゼーレになったとある。
"ゼーレ"って、また古い言葉を使ってるなー。
後日談がある。
翌日に超作戦が行われた。鹿之介が疲れきった体に鞭打って、佐藤超先生の超フリー
トークに数時間付き合っている。よほど疲れたのだろう。
フルメタルジャケットを"最後まで"観たようだ。
なお、安房守の依頼を蹴っている事が書かれている。
どうも、いない人の分は買わないってのが、ココか前回から始まっているようだ。
ただし、大佐の分は買っているようで9月に渡す段取りについて電車代をケチる文
章が書かれていた。ダンボールで渡すので電車は無理だとも。
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