2 発端から廃止までの歴史 C73


【2007年(H19) 12月 C73】

厳しい作戦となっている。
昨年の寒さに懲りた鹿之介が、イトーヨーカドーで皮のコートを買ってくる。
二万三千円と金額まで記録に残っている。衣類で一番高い買い物で、後の三越作戦
でもこれを超えていない。


12月29日
大佐が風邪をこじらせていた。
新年会を延期にする予定にしたようだ。実際に中止となる。


12月30日
大佐が列車の中で苦しむ。コートを着せたりして粘る。
結局はビッグサイトに向かう。
地面が濡れているので座る指示は出さないとスタッフの広報。
鹿之介はこれを勝手にしろと解釈。椅子を出す。
みんなで座り始めるが、今度は座るスペースを確保する為に裏に下がれとスタッフ
より指示が出る。鹿之介の裏の人が下がる気の無いこと。
また、女性のカバンが無くなったと大騒ぎ。場所取りの荷物は置き引きの格好の餌食
となる。周辺の信頼できそうな人に声をかけてから出るとか、置いていくものは無
くなる事を前提とするとか考えてなければいけない。
この辺は持ちつ持たれつ。鹿之介も見ず知らずの同胞から荷物を任される事があった。
皆も助け合わなければならないぞ。

大佐が辛い状況で立川競輪に向かう。
これがまた遠いこと。東京の果てだからね。立川の向こうは八王子でその向こうは
山梨県やねん。
競輪グランプリでは北日本の連携まで予想したが、そこまでが限界だった。
あと、マークカードを書き違えたので、間に合わないので目も変更して購入。
大失敗した。

神田で佐藤超先生と合流し、打ち合わせで揉める。
「コミケ作戦開始以来十年。初の大佐による西突入案が出される」
この西突入は大佐が東方へ向かった事をさしている。
これに対して、東で男性向けが欲しい佐藤超先生で意見が分かれる。
また超壁に行きたくないので「書店で買える所は買ってくれ」という説得も行われ
た。ここに、同人誌の共同購入という十年続いたやり方は崩壊した。


12月31日
大佐の状態は良くない。昔の鹿之介の風邪と同じか、もっと酷い。
必要な物資は現地のコンビニを使うつもりで発進するが、入れなかったので神田で
用意しなかった事を後悔する。次回からすべて神田で用意するか、出発の時点で用
意しておくものに変わる。

ビッグサイトから秋葉原に戻るのがセオリーだったが、この時から秋葉原は"楽しく
ショッピング"なんて出来る状態ではなく、郊外に出る案を出す。
秋葉原離れってところか。
コミケ最終日はどうにもならないね〜。中日ならまだ良いけど。
今回をもって佐藤超先生がコミケ引退となる。
理由はいろいろある。金の問題とあるが、共同購入が成立していなかったのを無理
やり続けていた体制も問題だった。
これ以降、鹿之介、大佐の二名で行き続けることにある。
仲間を増やそうとしなかった。誘うこともしなかった。
これについては鹿之介の閉鎖的な考えだけでなく、共同購入して沢山買おうという
作戦がすでに行われなくなっていたことが理由だと思っている。


後日談
佐藤超先生の金にまつわる話で、記録ではこうある。
同人誌の基本的値段は500円だ。で、廻るサークル数が37もあれば、最低でも18500円
はいる。これは最低の数値だ。実際には新刊二部とか、600円以上の価格だとかが重
なってくると金銭的には倍の37000円は待機させておく必要が出る。
「コミケは金がかかる」のではなく、自分で金がかかるようにしているのだが分かっ
ていない。前にあった超依頼。300円相当の品を合計150近く集める事になったのだが、
それも単純計算で45000円前後になるのに、どこをどう計算したのか、「10000〜20000
円で済むと思った」などと、理解できない発言をしている。
佐藤超先生は過剰に請求されていると思っていたようだ。

鹿之介の結論は、「同人誌の共同購入は間違っている」というもの。
欲しいものは自分で買え。買えないならあきらめろ。他にも良いものはあるんだ。
仲間は大事だ。だが仲間は自分の都合で動くものじゃない。厳しい突入作戦を励まし、
協力しあって行くものだ。戻ってきたら労をねぎらって明日に繋げる。そんな大事
なものだ。かけがえの無いものなんだ。
だから、共同購入のようなトラブルになる事はするべきじゃない。
価値観は人によって千差万別あり、理解の範疇を超える事も大井。
職場にもいるが「足し算、掛け算がが出来ない人」、「冗談が通じない人」、「小
銭で鬼の首を取ったように大声を出す人」、「小銭を数えようともしない人」、
「苦楽を金に換算する人」、「他人を道具か何かと思っている人」、「同人誌を
買うことを仕事だと思っている人」、「そもそも団体行動の出来ない人」。

コミケで共同購入をしようと考える人達に言いたい。
なけなしの仲間が揉める原因を作る事は無い。止めた方が良い。
幸いにも我々は友好関係に支障は出なかったが、コミケというだけで艱難辛苦で
金がかかり揉めた事を思い出される。
コミケってのは、やり方次第で苦労もすれば、散歩のように行動できるものだ。
後に鹿之介が一人、別れを告げに来場した際は何の苦労も無く、まるで卒業した
学校の校庭を歩くようにしていた。コミケは歩き方次第だ。
その歩き方次第を崩壊させるのが共同購入。
まあ、その共同購入もやり方次第といえばそうだがね。


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