2 発端から廃止までの歴史 C82


【2012年(H24) 08月 C82】

18切符を使ってながらの指定席券を取りに行く。目標は熱海の向こう。
JR東日本のネット予約でながらの指定席券を取るのだ。
それまではネットオークションで取り寄せていたのだ。
この18切符は鹿之介と大佐が東京で使う他、3回は余った。一つは指定席券を取る
為に東に向かい他は気の向いたところになった。


8月10日
準備が間に合わない。
この頃はこんなんばっかしだった。やる事なす事が後手に周るのだ。
昔は一ヶ月前に準備をしていたが、この頃は準備する道具をメモしており、それに
合わせて用意すれば早いとしていた。そのメモを見れば良いという発想から、土
壇場でも間に合うとして準備を怠るようになり、さらに遅れるという悪循環。
精神的に参っていた時期でもあったが、いい訳にはならない。
大佐からの到着を知らせる着信が入るが気づかず。


8月11日
荷物を東京駅のロッカーに仕舞う。
「今回は」とあるので、コレが初かもしれない。
前回までは神田の200円ロッカーだったようだ。
ビッグサイトでの記述は、「何の問題も無く、初期作戦が終わる」とある。
そろそろ消化作戦となってきたかな。




靖国神社の入り口にある大村先生の像。
靖国はたいして撮影されてないのだ。


この後は靖国神社に行き、ラフな格好の鹿之介が爺に絡まれる。どこにも説教好き
の爺がいるものだ。あしらい方をこれで覚える。
この後、「金を持っているような身なり」をしないと、よく分からんのに絡まれる
というネタが使われた。
展示物を見た後で土産を買おうとしていたが、17:00になると全部、終わりとなる。
まあなんだ、公務員の世界なのだね。
何も買えずに愚痴る大佐に、また来ようと言って去る。

今回から東京の地下鉄を使う。
初めて使ったが、最後(C89)までよく分からなかった。
今では分かるが遅すぎた。

土産を秋葉原で用意して、ヤマトで送ろうとするが失敗。こちらもタイムオーバー。
しかし神田のホテルから荷物が送れた。今後もこういった利用方法で荷物を減らす
事にする。これがコミケ作戦末期で一番の戦果というか初めて知った。
今までは会場からの直送だけに頼っていたからねぇ。
なお、ホテルから送るものはやや遅れる。速さを求めるなら会場からの直送。

ヤマダモンゴルに入って祝杯を挙げる。
最高に美味しかったのでまた来店しようと考えていた。
残念ながら入る機会が無いままついに終わってしまった。


8月12日
情報では本日、雨が降るとの事。
ホテル内で雨対策の準備を整える。
カバン内部の防水処理をして、貴重品の損害を無くす。また、機器を退避させる。
肝心要の金銭は会場にて、大佐の助言で最後の補強が行われた。降水に対する備え
は完璧となった。ただし、開場後の行動では装備が手薄になるほか、持ち物の一部
が無防備になる事も考えられたが、屋外にいる時間はそれほどにならない事を考え
ると、対策は放棄した。また、どう見ても空模様は前日と変わらず、降りそうに見
えなかった。

突入前に兵装転換が行われた。
折りたたみ傘は従来通りから、下げカバン奥に移動。邪魔になるので押し込んだ。
また、合羽に至ってはどこに仕舞ったか行方不明となった。
降りそうだが降らない。
俺はそう判断し、行動しやすい備えに変えたのだった。
これを慢心という。
当時の記述のタイトルが「ミッドウェー海戦」となっていた。これから2年も経つ
と、全国的に有名になる、慢心と兵装転換による失敗された作戦だ。


東456から転進し、123に来る。かなり急いだ。
しかし、待機列の途上で大き目の粒が降ってきた。
「雨だ」
「降ってきた…!」
動揺の声が周辺から漏れる。数秒単位で雨の勢いは強くなっていく。
通り雨かもしれないが、本格的な大雨の可能性がある。
そういう予報だったのだ。
カサをカバンの奥から探している暇は無い。
でかいばかりの不沈空母は無防備だ。これは何としても安房守へ、無傷で届けねば
ならない。すぐに、俺は購入したグッズを展開した。
絵の描かれたカサだ。6000円もした高額商品。
持ち運びに難儀していたが、こんな形で役に立つとは思わなかった。

カサを見て、どよめきの声が上がった。
やっぱ気になるらしく、聞かれた。
「それは向こうで売ってたものですよね?
高いでしょ?」
「ええ、一本6000円もしました。高い、高いなぁ〜」
「すげぇ、勇者だ」
こうして俺は、また一つ、勇者の称号を手に入れたのだった。

カサのサイズは一般的よりやや大きい。
65センチ。
長いので、コミケ会場内での運搬は辛酸極まる。

展開。
ルートダブルの宣伝広告塔。
このゲームを買う予定は無い。
が、考慮しようか…?
ゲームやってる暇無いけど。








見ての通り、局地戦専用のカサである。
しかも、持ち出す事が無いので、今回が最初で最後の使用となる。
なお、勇者の称号を頂いた時と、バス乗車時の待機列で、日傘として使用された。
会場でしか使えない。
こういう無駄なものに、松戸競輪での金が惜しげもなくぶち込まれたのだった。

この一本六千円のカサは高額のカサとしてナンバー1の地位に長らくいたが、三越
作戦で"突然のpoiやゲリラ豪雨に対処できる"折りたたみジャンプ傘が購入され、
これはナンバー2となった。


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