2 発端から廃止までの歴史 C61



【2001年(H13) 12月 C61】
鹿之介、大佐、塩ラーメン、安房守の四人で突入した。
この頃は夜行で行き、朝から西の企業に並び、一泊。最終日は東に並ぶ。
そういう流れでやっていた。
今回は佐藤超先生を連れて行くかどうかで意見が分かれ、彼の協調性が懸念され
た為、安房守をメンバーに加える事にして頭数とした。
当時は鹿之介が風邪をひいており東京駅でくたばりそうになった。あの時は苦痛で
帰りたかったがそういうわけにもいかない。皆の足を引っ張るわけにもいかず、
気合で乗り切った。
夜行で到着した後、京葉線ホームで鹿之介が動けなくなった事は、安房守からしば
らく言われたが、安房守も後の別件で言われる事になる。
このC61はいろんな意味で当時は伝説になった。


企業に行くのは支障が無い。
当時はほとんどまとまって動いていたからだ。
塩ラーメンと合流すると、カプセルホテルの十階にある四人部屋を予約したと思う。
(四人部屋の使用は佐藤超先生と合流してからかもしれない。)


すでにこの頃のコミケ開場は携帯電話が通じなくなっていた。
(初期の作戦の頃から安い無線機は導入されていたが、フロアをまたぐと通じなかった
事と混信があり、携帯電話が使われる事があり、一時は通じた)
頼みは無線機。
そして待合場所が厳守されるようになった。
東京ビッグサイト西館を正面に見て右側の手前。ノコギリのオブジェがある。
その近くの上階(いわゆる西館出口を出て直進しやや左折)が"のこぎり前集合場"と
された。
口頭で安房守に説明するが「口で言って分かると思うな。図を描け」と言われる。
そこで鹿之介が図面を書いて説明した。
しかし、うまくはいかない。
図で説明しても、そこに来ない。
鹿之介、大佐、塩ラーメンが作戦を終了し合流している状態でも、安房守に状況を
問い合わせる無線を飛ばしているが、返答が無い。
下手に動いても見つけられるものではないので三人は待機を続行。
結局は一時間以上たって、あらぬ所をうろついている安房守を鹿之介が発見。
何とか合流する。
なお、時間がかかった割には頼まれた本は何一つ買っていなかった。
この件で塩ラーメンの愚痴が炸裂し、鹿之介も言い訳が出来ないどころか、塩ラー
メンに同調した。これで佐藤超先生の次回以降の合流が決定したが実際に合流する
のはまだ、先だった。



取り決めていた事が出来ない。いわゆる団体行動が出来ないのも如何なものかと思
うが、当時は買うことが大事であって買えないのは問題視された。
買えないにしても完売、忘れてしまって済まなかった、などなら理解も出来るが、
何もしなかったのはどうにもならない。
当時はそういう発想で活動されていた。
直近の作戦のように、購買意欲が最低値まで下がっており、観光に特化したもので
はないので、団体行動が出来ないと判断された場合は、メンバーを考えるように
するのが当然だった。


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